読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カザノヴァ回想録より

 『人生とは不幸の集まりに過ぎないと高言する者は、人生そのものは不幸にほかならぬといっているのと同じことである。もし、生が不幸であるならば、死は幸福ということになる。しかし、こうした人たちも、もし身体が健康で、金貨のたっぷり入った財布をもち、心が満ちたり、チェチリアやマリーナのような娘を腕に抱いて、なおその後に他の娘を抱けることが確実であったならば、そうはいわなかったに違いない。かれらは、乞食哲学者か、だまし上手だったり陰気だったりする神学者のなかにしかいない厭世家人種(わが親しいフランス語よ、こんな言葉を使って失礼)なのである。もし快楽が存在し、それを楽しめるのが生きている間だけのことであるとすれば、人生はまさに幸福である。勿論、不幸というものはあるし、そのことを認めなければならない。しかし、この不幸の存在ということ自体が、幸福の総量のほうがより大きいということの証明なのだ。わたしは暗い部屋にいても、広大な地平線と向かい合った窓から射し込んでくる光をみるならば、無限の喜びを感じるのである。

カザノヴァ回想録 1  250頁第4行目より