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少年のような

 「男の子みたいな女の子というのは彼が考える女の子の理想といってよかった。」

 さて、それはいったいどういうことか?それを知りたくば、ジョージ・メレディス『リチャード・フェヴェレルの試練』の第二十六章にてかわされる、リチャードとカローラの会話を見て頂くほかあるまい。

 小学生の時分に、友人と揉み合いの格闘(という名のじゃれあい)をしたことがある方にはわかっていただけるかもしれない。あれは一種の発情期と言ってもよいと思う。あの時に感じた倒錯は、今も私の記憶の中にある。つまりそのじゃれ合いにはゴールが無かったのである。

 そうしたじゃれ合いを、男女間で友人として行うことが出来た時に、そこで初めて二人はお互いの身体の違いを認識するのだ。それは二人の間の関わり方が異性同士のものに変わってしまうというよりは、ただただより面白いふたりだけの遊びを発見した、というだけのことであり、そしてそれは発見であるが故に常に新しく、常に豊かである。