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attendez!

 「ちょっと待って!」

これは先日公開された、フィリップ・ガレルの映画『ジェラシー』において何度か発せられる言葉であるが、そんな日常的な些細な台詞は、それが発せられる状況も含めてあまりにささやか過ぎるので見過ごされかねない。

 とはいえ厳密に、そのひとつの単語だけが重要なのではない。「ちょっと待って!」他人を引き留めるための言葉。この映画の尺は77分である。この短さは、そうした他人を引き留めるための言葉の少なさに起因しているのではないかと思う。

 映画は冒頭、泣く女性の画から唐突に開始される。彼女は出て行こうとするルイ・ガレルを引き留めようとするが、当然それに失敗する。ルイ・ガレルの全身が、扉の向こうに消えて行こうとするまさにその瞬間に、カットは彼らの子供の部屋へと切り替わり、画面外から扉の閉まる音がしたのちにその場面は終わりを迎える。

 ルイ・ガレルはアナ・ムラグリスを引き留めることに失敗する。彼女が荷物を持って出て行ってしまった後も、ルイ・ガレルは後を追うことなど無く、二つの部屋の間で往復運動を続けるばかりである。

 全てが淀みなく進んで行く。運動は始まりから終わりへと均質に向かって行く。

 「ちょっと待って」と子供が言う。寝室の扉は少し開けておいて。「ちょっと待って」と子供が言う。彼女は唐突に脚を上げて父のお尻を蹴り飛ばす。「ちょっと待って」と子供が言う。彼女は、映画館にいた金髪の女から父が渡されたチケットを見たがっている。「ちょっと待って」と子供が言う。これ以上くすぐられると、殴ってしまう、と笑いながら彼女は言う。

 「ちょっと待って」と彼は言う。キャンディはもう返しに行かなくてもいい。「ちょっと待って」と彼は言う。替えの下着はいらないから側にいてくれ。

 人が扉から出て行った/入っていった。その後に残された僅かな余韻を、血を分けた分身達が越えて行く。彼らは同じベンチに腰掛けて、静かに豆を食べる。豆を食べる。最早彼らと切り返されるのは風景だけであり、そしてそこにある種の不動の状態が訪れる。