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批評という行為について

 批評の意味内容を歴史として絶対の真実とするのではなく、彼(批評家)が、どういう風にそこに立っていたのかを重要視するということは不可能なのでしょうか。それはつまり、書かれたものを真に生き直す(ことを試みる)ということです。

 確かに彼らによってその名を記された偉大な固有名詞達は、未だその輝きを失ってはいません。それらの映画を見返す手段は今日においていくつかありますが、そうしてそれらが現在のものとして我々の前に現れる時、それはあたかもよく寝かされたワインと同じように、過去であり現在でありうるという点において、二重の意味でその価値を保証します。
 しかしいつまでもそれらの推し進めた地平のその範疇に安住し、そして不断に生まれ続ける新しい現実をその固有名詞との照らし合わせによってばかり測ろうとすることは、他の数多のケースに見られる権威主義と同様にあまりに愚かであるように思われます。

 もし今日における批評家と呼ばれる方々が、そうした貴重な財産を盲目と節制の内に飲み尽くす道を選ぶというのであるならば、それはもううっちゃっておく他はないでしょう。しかしそれならそれで「批評」というものからはきっぱりと退いて頂きたい。何故なら批評とはむしろ、過去と未来にこそ属しているべきで、それは来るべき若い作り手、現在を生きようと試みているがために、全ての停滞を拒否し、新しい歴史を築き上げようという作家にとって、「過去」と「未来」を表明するための、恐らく唯一の方法であるからです。そしてそれと同時に、そのようにして批評における「現在」の不在を補完することこそが、考えうる新しいやり方であるように思われるのです。