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『インヒアレント・ヴァイス』PTA



   この映画に罪があるとすればそれは、この映画が観客を笑わせてしまっていた、というただその一点に尽きる。

   私立探偵を名乗るホアキン・フェニックスがどれだけ調査を進めようとも、切り返し、高低差、望遠広角、そういった積み重なりによって推し量られるはずの中心が存在しない(あるいは相容れないいくつもの中心が存在する)ということはさしてわたしを不快にはさせない。
 
    しかし観客である。猥褻な言葉・要素が出てくるたびに声をあげて笑ったり、少しでも気の利いたセリフを誰かが言おう(もしくは言い損なおう)ものなら、すかさず笑い声をあげたり、あの笑い屋たちはいったい何者なのであろう。もし笑いというものが、ベルクソン言うところの社会に対する軽微な「修正」のための方法であるとするならば、そして彼ら笑い屋が、そうした用法で笑いを用いていると仮定するならば、彼らは最も手の出しやすい修正のためにわざわざ声をあげて笑っているに過ぎない、ということが言えるように思う。つまりそれは最も常識的な中心を自らのうちに備えておれば可能な修正ということであり、最も容易に映画の上に立つための方法であり、それはこの映画がR15+に指定されていることと同程度の常識的な権威の押し付けでしかない。

    そのような安易な修正によって、映画には撮られていないはずのある種の中心の存在を常に意識する羽目となり、「ああまさしくこうして世界に中心はひとつではありえないのだ」などと思ってしまう私も単なるひとつの中心であり、中心をはずれた口を持つホアキン・フェニックスが実は最も中心を渇望しているのでは無いかというような、そのように思わせる彼の、声にならない叫びのようなものを聞いたように思う私はやっぱり単なるひとつの中心でしかない。
余談だが横光利一『機械』は素晴らしい。