青山カレー倶楽部のこと



   青山の映画館で働いていた頃は、朝10時ごろから働き始め、初回の入れ替えが済んだ時にはもう正午で、そこで昼食をとる。2分歩けばイタリア人のやるイタリアンがあり、少し歩けば大衆割烹の気の利いたランチがある。おむすび屋、タイ料理屋、蕎麦屋、うどん屋、中華、洋食、他にも多種多様な店々がバッと広がっていた。場所柄テイクアウトを求めるサラリーマンOLが多かったので、意外にどこでも落ち着いて食事をとることができ、昼食をとる時間というのが、労働に隣り合ってやってくるひとつの楽しみになっていった。
    初回の入れ替えをこなしていると大抵空腹を感じ始めるので、正午に向けて、「今日はどこまで行こうか」と接客をしながら気分をきめて行くのであるが、頭に浮かぶ候補の中に、遅れて名を連ねてきたのが他でもない青山カレー倶楽部である。


   「遅れて」とは言ったものの、二の足を踏んだのは私の方である。店は常にそこにあった。1分とかからない距離である。控えめな看板ではあったが、昼食をとる店を探して歩く私の目に、その名が入るのにそこまで時間はかからなかった。しかしその異彩を放つ風貌は、看板を睨んで悩む私に長いこと二の足を踏ませ続けた。見て分かるとおり、店は地下にある。何よりそれが大きかった。階段を上から覗き込んでみるもののそこからでは入り口も見えず、下りてみなければ様子はわからない。かといって下りたら最後、必ずや行かねばならないと、何やら妙な覚悟を要求する階段であった。


   ところで地下にある店というのは、時々物凄い仕事をするものである。


    階段を下りる時にはもう覚悟を決めなければいけない。現れる扉、カレーを出す店というよりはバーを思わせるその扉を開けると黒人の新鮮なシンセポップのようなものが聞こえ始め、そして目に入る、半円を二つ縦に並べたような、S字型のテーブル。店内はそのテーブルでほぼ一杯で、そのS字に沿って二箇所に立つC型の椅子も、座れるのは6人が限界だろう、とにかく店が規格外に小さい。


   「はい いらっしゃい」と、店主。
    写真を撮る隙などあるはずもない。初めて目にする形状のテーブルを前に、一瞬ためらいがうまれてしまう。店主は厨房の影から出てこないので、どこに座っても正解とは思えない状況の中とにかく狙った席につき、メニューを眺め、「ビーフカレーを…」と口にすると、すかさず「ビーフ今日おわっちゃったんですよね!」 、、、



















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    縦書きで横に三つ並ぶメニューの中で、恐らく一番数が出るのはこのビーフであって、油断しているとこのように「ビーフ今日おわっちゃったんですよね!」を聞かされる羽目になる。ビーフが終わっている時の返しのリズムはほとんど決まっていて、であるからビーフを頼む時には、今日はあるのか今日はあるのかと、その危ない一瞬をやり過ごすことが常に大切になってくる。店に行く時間を早めることで安心を得ようとしても、ビーフはその予測を遥かに上回るやり方でどこかへと無くなってゆき、最早「前日から既に無かったのでは」と思わず訊き返さずにはいられないような時間から、店主の切り返しは変わらぬ爽快な調子で飛んでくる。


   初めての来訪で準備が出来ていなかった私は、注文時にはほとんどビーフカレーの気分になってしまっていた。そのため残りの野菜 シーフードの二択を前に、よっぽど店を出ようかという気持ちにもなったが、どうもそれは許されないような気がしたので大人しく野菜を注文する。


   直ぐさまフォークとスプーンがナプキンに包まれ運ばれる。付け合わせがくる。きゅうりの浅漬け、福神漬け、らっきょうに、パイナップル。そしてカレーの到着である。付け合わせとカレーの乗るのは深い青から茶へグラデーションしていく揃いの皿である。そして食べ始めた頃に、サービスのオレンジジュースが届く。
    そこまでがセットである。ビーフのときもあればシーフードのときもあったが、いずれにしても、ひとつの完全なリズムがそこにはあった。それに応えるかの如くに、カレーを食べる私の手は、日増しにカレールーと白米のバランスを探る。カレーはそれなりに辛いのでサービスのオレンジジュースは嬉しい。辛さのやってくるペースに合わせて、オレンジジュースのバランスをとらなければいけない。


    食べ終わり、会計のタイミングを伺う。店主は相変わらずキッチンの影に隠れているので、呼ぶか、そちらに向かうかの二択であるが、ここはそのまま向かう。「ごちそうさまです」「はい ○○○円ですね」


店主は必ず「ですね」という。この手のカレー屋に共通するあの口調である。そして1000円を差し出すのをほとんど見越してお釣りを既に用意しているので、不用意に小銭を出そうものならその分だけリズムが崩れる。
   お釣りを受け取り店を出るとき、振り返って「ごちそうさまでした」
すると店主は丁度カウンターをくぐって客席の方に出てくるところで、下がった頭の後頭部から「はい ありがとうございます。」
私は店を出、食器は片付けられていく。 残るのは爽やかな余韻ばかりである。
  

   カレーを求める気分が消えぬばかりに二日続けて行くということもあった。何度も通っているうちに、たまに他の客に遭遇して異様に興奮することもあったが、大抵小さな店内には、私と店主のふたりきりだった。


    そうこうしているうちに五年近くの月日が流れ、六度目の年が明けた春。件の映画館を辞めてから既に一年ほどが経っており、このあたりで昼食をとる機会もなくなって随分になる。別件で久しぶりに近くを訪れた際そうした懐かしい記憶が蘇り、かつてのように地下への階段を下り、懐かしいドアを開けにかかる。というところで唐突にある紙に遭遇する。


   この店は結構な頻度で、誠に勝手ながらお休みするということが多々あった。「ビーフが無いにしたって、まあ野菜が無いなんてことはないだろう」などと安心しきって、少なくともカレーが食べることができればそれで良いと、すっかりカレーの気分を用意してしまっているので、そういう日は思わぬ不意打ちに手持ち無沙汰になる。カレーを食べずに戻る階段は、空腹も相まっていつもより足にこたえる。

















   ところがこの日はいつものそれとは違った。それともまた違ったのだ。























(写真を一番下に載せておきましたよ)




















    もう二度と、この扉の先へは行けないのだと考えると、このような時が来ることを想像すらしていなかった私は、果たして今迄すべての瞬間を、一瞬一瞬本気で生きてきたのだろうかとえもいわれぬ不安に襲われる。このようにして書いているうちにも、全ての記憶が過ぎ去っていきはしまいかと、涙が出そうになる。カレーが乗っていた皿の色は、果たして私の記憶通りの色をしていただろうか? あの店主。彼はこの紙に書かれた別れの言葉を書きながら、彼の28年をひとりで振り返ったのだろうか。そのとき彼の頭をよぎった光景に、そのどこかに私の姿は少しでもあっただろうか。


    しかし今思うのは、この張り紙のあるうちにここへ来ることが出来ただけでもまだ良かったのかもしれないということである。この張り紙にすら遭遇することも出来ず、しかも遭遇出来なかったという事実をすら知らずに過ごすということも、場合によっては起こりえたのだ。この紙があるうちは少なくとも、青山カレー倶楽部の終点のようなものが、この世に存在していることになる。始まっているのか終わっているのかも判然としないわたしの中で、終点によって固定された28年という歳月が静かに輝いている。この終点すらがこの世からなくなる時のことを考えると私は悲しくなるけれども、しかしあの地下への階段を引き継ぐ権利と責任は私たちにある。